Coffee コーヒー
特別寄稿・杉崎栄介
余韻をお楽しみください。

急な坂スタジオの立ち上げから見守り続けてくださっている横浜市芸術文化振興財団の杉崎さんに、ご寄稿いただきました。

公共を探究することで「アーティストが目標を持てる都市」を実現させた急な坂スタジオの功績とは何か?

公益財団法人横浜市芸術文化振興財団
アーツコミッション・ヨコハマ担当
杉崎栄介

 2006年4月~翌年3月、私は、2007年にアーツコミッション・ヨコハマ(以下ACY)を立ち上げる前、財団から横浜市役所の創造都市事業本部に派遣されていた。その時、幸運にも横浜市側で急な坂スタジオの立上げに携わっている。

 旧老松会館。そこは、港沿いのホテル群の登場により役目を終えた公立の結婚式場であった。当時、横浜には舞台芸術の専用の稽古場が少なかった、いや横浜だけではない日本に本当の意味で創作をしていく専用の稽古場が少なかった時代。横浜市は、閉鎖した結婚式場を舞台芸術の稽古場にして、創作意欲の高いアーティストに開いていこうと計画する。まずは、そのパートナーとなるNPO法人を募集した。それは当時から始まった「民間のパートナーを迎え入れて、あらゆる行政の課題を解決せよ」とした、いわゆる「新しい公共」を考える政策から生まれた。

 初代ディレクター相馬千秋氏、二代目ディレクター加藤弓奈氏。その二人の功績はスタジオ自身がまとめると思われるので、ここでは割愛させていただく。
 私の興味は、10年前に急な坂スタジオのオープニングでされた宣言「急な坂スタジオは、横浜をアーティストが目標をもって活動できる都市にします。」にある。10年後の現在、横浜はそれを実現させた。
 もちろん、急な坂スタジオだけの功績ではなく、長年舞台芸術に心血を注ぐ関係各位の活動が地層のように積み重なり、絶妙のタイミングであらわれた急な坂スタジオという場が、有機的にこれまでの取組みを繋げて花開かせていった。その発信先としてF/Tをはじめとする全世界の劇場やフェスティバルがあるのは言うまでもなく、TPAM in Yokohamaが横浜に移り根付いたことにより、その出口は今や横浜から世界に開かれている。

 急な坂スタジオが、有言実行できたのはなぜか。それは、「都市」とそこに立ち上がる「公共」をスタジオが責任をもってアーティストと一緒に解いていった結果だろう。現代日本において「公立劇場」が必ずしも公共性の高い「公共劇場」ではないことは、既に多くの識者が論じているし、私もACYの現場を通じ自戒も込めて、そのように日々感じている。
 芸術を創作発表、体験するにあたり「高い公共性」を有する場とは何か。そこには様々なことが必要とされるが、最も大事なことは、「同時代性をもつアーティストがやりたいことを実現できる場」であるか否かであろう。急な坂スタジオは、私の知るかぎり、それを真摯に探究し、一個人のアーティストが発する表現を信じて支援し続けている。
 相馬氏の時代に、急な坂スタジオは、『La Marea Yokohama』や『Cargo Tokyo-Yokohama』プロデュース公演を通じて、公共の在り様を根底から揺さぶる体験を横浜の街に与えてくれた。加藤弓奈氏の時代は、「坂あがりスカラシップ」などの制作コーディネートを通じて、公共は連携によって拡充されることを教えてくれている。私達はこれらの実績を受けて、もっと自らの活動の公共性を高めていく責任がある、芸術文化振興のために。

La Marea YokohamaLa Marea Yokohama Cargo Tokyo-YokohamaCargo Tokyo-Yokohama

 文化政策とは、バックキャスティングでなければならない。文化や教育の分野は、現在ではなく次世代に向けたものであり、中長期の投資回収項目にあたる。だからこそ公金を投資して取り組む意味がある。しかし、実際の現場は、そうした評価をうけることは少ない。大切な税金を扱うため、常に社会から求められる要請にこたえていかなければならないからだ。文化行政は、その場においてなぜか前述のような中長期的な投資回収の政策であることを説明しきれない。残念ながら、それが日本の実状である。現場は、そうした制約の中で、持続可能な芸術文化の仕組みを考えていくのが仕事となる。
 急な坂スタジオの活動も、「育成の場」という性格上、すぐに投資のリターンが見えない、評価されにくい拠点とディレクターたちは最初からわかっていた。そこで、「アーティストが目標を持てる街・横浜」という大きな理念から振り返り、10年間「アーティストの選択肢」を諦めずに作り続けた。その結果として、今の横浜の、世界の演劇、ダンスのシーンを生み出している。
 急な坂スタジオは何十億も建設費かけ、年に数億も運営費を使うような文化施設ではない。野毛山の坂の中腹にある小さな古ぼけた結婚式場跡である。私達は、その何十億もかけて作ったきらびやかなの方の劇場に足を運びアーティストの作品に出会い、一人一人が時代や社会へ向き合うことで、急な坂スタジオが社会で果たしている役割の重要性を確認することができる。そこが、まるで奇跡のような場所であることを。

 急な坂スタジオは、次の目標を再提案するときが来た。社会もアーティストの置かれた状況も10年前と大きく変わっている。ここから新たに提示される未来が楽しみでならない。私も、このスタジオと一緒にさらなる公共を探究していくことで立ち上げる何かを掴みとりたい。