急な坂スタジオが取り組む一番大きな事業は、貸しスタジオの管理運営です。日々、様々な個人・団体がここを利用してくださることにより、ただの建物が稽古場・創造環境という、特別な空間になってきました。では急な坂のイメージを形作ってきた事業は何か?そう考えたときに思い浮かぶのは「坂あがりスカラシップ」です。のげシャーレ(横浜にぎわい座)・STスポット・急な坂スタジオという、3館が連携して行ったこの事業は、2008年から2016年の3月まで継続しました。公募により対象者を選び、稽古場と劇場がそれぞれの会場を提供し、公演に向けた制作支援を実施してきました。「この事業で何が起きたのか。」「どんな人が関わっていたのか。」ということは、「坂あがりスカラシップのこと」というスペシャルサイトがありますので、そちらをご参照ください。豪華ゲストによる公演評もあり、かなりの読み応えとなっています。
では、ここで語るべきことは何でしょうか?
この事業を紐解いていくことで、急な坂スタジオが大切にしてきたことを考えたいと思います。まず、スカラシップが生まれた背景からみてみましょう。何故、劇場2館と稽古場の連携事業という、珍しい形態が実現したのか…
- 急な坂スタジオとのげシャーレが近い【距離・物理的な理由】
- 急な坂・シャーレ・STスポットの関係が近い【人や歴史がつながっている】
- それぞれのスタッフが仲良し【ここが結構大事】
2006年の開館当時、陸の孤島のような急な坂スタジオにとって、坂の下にあったのげシャーレは、物理的にも・精神的にも「大切なお隣さん」でした。またSTスポットを含めた3館ともに、横浜の文化施設として、その活用をより進めていく大事な時期でした。どうしても縦割りになりがちな文化行政において、横のつながりこそがわたしたちにとって重要なことでした。
そして現場の担当者が「ちょっと相談したいことがあるんだけど、野毛で飲まない?」と気軽に会えることも、重要な要素だったと感じています。ただ「楽しく飲んでおしまい」では意味がありません。きちんと企画にして、それぞれの館を動かすことが必要です。
2008年、立場も組織も異なる3人のスタッフの手によって「坂あがりスカラシップ」は産声をあげました。それぞれが自己主張するのではなく、持っている魅力を活かしあう、という関係はこの3館だからこそ、成立したのだと思います。
坂あがりスカラシップ2008-2010 募集チラシ
枠組みは整いました。
では具体的なプログラム内容はどうでしょうか?
- アーティストの発掘・育成【明確なミッション】
- 企画に人を当てはめるのではなく、人によって企画そのものを変化させる【臨機応変・柔軟さ】
劇場や稽古場にとって重要な存在は「使ってくれる人達」です。彼らを発掘・育成することが大きなミッションでした。でも実際には、様々な出会い・経験の中で、施設側が育てられたと感じています。年度が始まってから新しい企画を立てたり、急遽関連企画を実施したり、3館以外の場所を使用したり…。個人の制作者では当たり前のことでも、異なる3つの組織の共同体としては、ハードルが高いこともありました。それぞれの施設の瞬発力とネットワーク力が鍛えられました。
スカラシップ対象者のニーズに応じて、支援内容そのものも変化させていきました。最初からそうしようと思っていたわけではありません。のげシャーレ・STスポットという一緒に考えるパートナーがいたからこそ、常に事業のあり方を検討し・更新してこられたのだと思います。
2013年度のスカラシップでは、対象者を選ぶことが出来ませんでした。応募者のニーズと、わたしたち側の考えにズレを感じたからです。そこで翌年は「坂あがりスカラシップの相談室」を実施しました。「応募する・しないに関わらず、ひとまず話してみましょう」という機会です。思った以上の反響がありました。もしかしたら、公演をやることにとらわれ過ぎていたのかもしれません。
同時に、スカラシップを終えた後の対象者のことも考える必要がありました。支援期間(2、3年)が終わっても、対象者の活動は終わりません。「さようなら。この先も頑張ってね。」ではなく、関係を続けるための枠組みとして、サポートアーティスト制度が生まれました。
アーティストを支援し、いつでも帰ってくることが出来る「ホーム」のような創造環境であること、これは急な坂が「そうありたい」と努めていることです。それを体現してくれているのが、レジデント・サポートアーティスト達です。それぞれ、次のような支援を行っています。
- レジデント:優先的に無償で、スタジオ使用可能。
- サポート:優先的に無償(日数制限あり)でスタジオ使用可能。
- 共通:急な坂が実施する事業に参加してもらう。(トークイベント、プロデュース公演、ワークショップなど)
誰かひとりではなく複数のアーティストが活動を続けていること。その事実こそが、急な坂スタジオや横浜そのものの魅力だと感じています。創作するために本当に必要な場所やネットワークが、横浜には蓄積されているのです。
2016年度から、坂あがりスカラシップは、坂あがり相談室plusへと姿を変えました。上演をゴールとするのではなく、何を創りたいのか?に向き合う時間を急な坂スタジオで体感してもらう企画です。それは、とても豊かな創造環境とだと考えています。
【様々な人や施設と連携し、その人と時に応じた創造環境を整備する】
これこそが、坂あがりスカラシップが生まれ・継続した秘訣であり、同時に、急な坂スタジオが大切にしていることです。
坂あがり相談室plus
撮影|須藤崇規