舞台芸術の創造拠点(稽古場)として2006年にオープンした「急な坂スタジオ」。私はこのスタジオの立ち上げスタッフのひとりとして、2006年から2008年の約2年間、広報や制作、運営に携わりました。立ち上げ時の急な坂スタジオは、オープニングのシンポジウムや、トークプログラムのシリーズ(Monthly Art Cafe)、そして横浜市内のさまざまな文化施設と連携したフィールドワークのプログラムなどを精力的に実施しました。新しくできたパフォーミングアーツの拠点の活動、目指しているものを、これらの事業をとおして横浜や各地の方々に知ってもらおうと、メンバーみんなで奔走したのを覚えています。
Monthly Art Cafe
演劇やダンスを観に「劇場」によく足を運ぶ人でも、「稽古場」を直接訪問する機会はなかなかもてないのではないかと思います。一方で、作品をつくる場が閉じていることは、アーティストが作品づくりに集中できる環境を確保するという点で、とても大切なことです。稽古場で作品がつくられていくプロセスは、作品になる前のさまざまな可能性をアーティストが試行錯誤する時間そのものでもあります。急な坂スタジオでは、パフォーミングアーツのアーティストにとって稽古場がいかに大切な場であるかを念頭に置きながら、急な坂スタジオとしての活動や成果をどのように発信していくことができるか、日々考えていました。
そのような過程から生まれたのが、稽古場の活動を一時的に公開する「坂のはるまつり」でした(2007年4月)。この企画では、当時のレジデントアーティスト、チェルフィッチュの『三月の5日間』の稽古場公開を軸に、近隣の野毛山動物園の協力によるワークショップトとトークプログラムなど、複数のプログラムを実施しました。急な坂スタジオの活動の一端をひらき、多くの方に知ってもらう機会になったお祭りでした。
「坂のはるまつり」フライヤー
横浜という地域に根差した稽古場の急な坂スタジオだからこそ、近隣の文化施設と連携した活動の可能性を、この頃からより意識的に考えるようになっていたと思います。急な坂でつくり、横浜のまちのなかで発表するという循環は、そのひとつの形として現れたものでした。例えば歩いて3分の距離にある野毛山動物園は、動物の生態の“展示/上演”の専門施設です。動物園で取り入れられている、動物の生態、行動や生活を見せる“行動展示”のあり方は、私たち人間が劇場で演劇を上演するという行為に、構造として重なる面があるのではないか――。当時のレジデントアーティストの中野成樹さんは、このような動物園で行われている展示形態の試行錯誤に着目しながら、2008年の春に野毛山動物園で上演する演劇を急な坂スタジオで制作しました。この時に中野さんが用いた戯曲は、アメリカ現代演劇を代表する劇作家のひとりエドワード・オールビーの『動物園物語』でした。急な坂スタジオが近隣の横浜の施設とともにプロデュース公演として立ち上げたこの企画は、その後アーティストや形を変えて続き、急な坂ならではの名物企画のひとつに成長したのではないかと思います。
中野成樹『ずうずうしい』
撮影|細川浩伸
また急な坂スタジオと横浜のまちとの関わりのなかで、野毛地区街づくり会と横浜商科大学がタッグを組んで主催していた「野毛まちなかキャンパス」というカリキュラムに参加させていただいたこともありました。この時のネットワークがきっかけとなり、いわし料理屋「村田屋」のお座敷スペースで、急な坂スタジオ主催の「ひとり芝居」の上演を実現した企画も急な坂スタジオならではの展開だったと思います。
このように、何かきっかけがあれば急な坂スタジオの活動を、横浜のまちのなかへもちこんでみる。そこで新しい出会いがあったり、アーティストとともに新しい視点を見出したりしていく。これがアーティストが作品をつくる稽古場として活動する急な坂スタジオだからこそもつことができた、姿勢だったと思います。そして横浜のまちそのものも、そういった活動を受け入れともに育てていく懐の深さをもっていることもまた、実感してきました。急な坂スタジオもオープンから10年を迎え、稽古場ならではの大小さまざまな企画を展開しています。横浜のまちとともに歩みを進めてきた急な坂スタジオの10年、今回ご紹介できたのはそのほんの一部です。
このような形で当時の活動を振り返る機会をいただいたことに、感謝を込めて。