Sorbet シャーベット/どこでも劇場に。 前編
動物園から百間廊下まで。
事業からみる急な坂の10年。

急な坂スタジオは発表場所ではないからこそ、横浜の街そのものを「劇場」と考えました。最初の一歩は、お隣の野毛山動物園。

 急な坂スタジオの仕事には、通常の公演制作では経験しないであろうことが多々起きます。劇場で公演することの有り難さが身にしみることもあります。

 例えば、真冬の寒空の下、天王洲アイルのヨットクラブの駐車場で公演受付をしました。水辺の効果も相まって寒い…屋根が欲しい…受付テーブルはピクニック用の折り畳みでガタガタする…

 2009年11月25日〜12月21日、F/Tとの共催でリミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」を上演しました。観客は改造されたトラックに積み荷(Cargo)として乗り込んで、ゴール・横浜を目指します。受付終了後、お客さんを積み込んだトラックを見送り、バス・電車・タクシーを駆使しゴール地点に先回りし、お客様の到着を待ちました。高級スポーツカーが並ぶ駐車場の光景は、忘れることが出来ません。

 時には、お坊さん達に企画をくり返し説明する、ということもありました。お寺もシフト制なのか、毎回違う担当者(すべてお坊さんゆえ、あまり見分けがつかない)に懇々と企画趣旨を語り続けました。

 2014年9月マームとジプシーと一緒に取り組んだ「歩行と移動」の準備中のことです。会場のひとつとして、鶴見にある総持寺の百間廊下を使用させていただきました。身分や立場の異なるお坊さん(延べ10名)に同じ説明をさせていただきました。使用をご快諾いただいて、良かったです。ほっとしました…

歩行と移動歩行と移動 制作風景
撮影|橋本倫史

 最近では「トロフィーを動かしていいかどうか交渉する」ということもありましたが、これはまた別の機会に…

 急な坂スタジオでは、様々な空間を公演場所として使用してきました。気軽に入れるわけではない稽古場という施設が、文字通り外に開くために、重要なことでした。また「誰に作ってもらうのか?」ということも熟考してきました。それは場所と作品のイメージが合う・合わないだけでなく、アーティストにとって創作活動の中でターニングポイントとなるような機会であって欲しいと、願っているからです。

 ここでは、急な坂スタジオプロデュース公演の中からいくつか「なぜ、その人・その場所だったのか?」を紐解いてみたいと思います。

中野成樹 誤意訳・演出 『Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)』

  • 公演日時:2008年5月17日、18日 15:30 集合(急な坂スタジオ)16:45 開演(動物園閉園後)
  • 会場:横浜市立野毛山動物園 ひだまり広場
  • 料金:2,000円

 記念すべき急な坂スタジオ初の野外公演でした。当時、レジデントアーティストであった中野成樹さんのアイディアが実現したのです。急な坂では年に数回、関係者を招いてパーティーを開いています。春はお花見、夏はBBQ、冬にはラクレット…等々。交流の場であると同時に、いろんなアイディアが飛び交う場所でもあります。2007年のお花見の席で、中野さんから「急な坂のロケーションが『動物園物語』(オールビー)の設定と似ている」という指摘がありました。動物園、公園、ベンチ…話が盛り上がり、早速動物園との交渉をスタートした記憶があります。そして1年後、動物園での上演が行われました。
 中野さんだからこそ出て来たアイディアを、企画にして実現させて行く過程は本当にあっという間でした。休園日の動物園に打ち合わせに行くのも贅沢な経験でした。この企画があったからこそ、急な坂スタジオは劇場以外の場所での公演に積極的に挑戦出来るようになっていったのだと思います。

ずうずうしい中野成樹『ずうずうしい』
撮影|細川浩伸

急な坂スタジオ×岩渕貞太×横浜美術館

  • 公演日時:2013年2月17日11時/16時、18日16時
  • 会場:横浜美術館グランドギャラリー
  • 料金:無料、予約不要

 この企画は、まずは場所ありきでスタートしました。横浜美術館とご相談し【ダンス(身体表現)の展示】という企画が立ち上がりました。迷わず、岩渕貞太さんにお声がけしました。彼の踊る姿を観たことがある方にはおわかりいただけると思いますが、「横浜美術館の大階段に、貞太さんが…」と想像するだけで、美しさにため息が出そうです。勿論、それだけでありません。
 音との関係性や空間との付き合い方など、創作の中で大切にしていることを活かすことが出来るのではないか?と考えたからです。石に覆われた、とてつもなく広い空間で踊ることは、大きな負荷がかかっていたと思います。しかしながら、あの場にいたすべての人の足を止め、目が離せなくなる圧倒的な存在感を披露してくれました。  岩渕さんは2008年、最初のスカラシップ対象者に選ばれました。2年継続支援の後もゆるやかに稽古場は使用してもらっていました。しかしながら、急な坂と一緒に考え・何かを作る、という作業はスカラシップ以降、ありませんでした。急な坂とサポートアーティストとの関係を考える上でも、ここできちんと一緒に何かに取り組むべきだ、と思っていました。
 その結果、どうなったのか?という答えは、一概には言えませんが、彼は今、レジデントアーティストとして、急な坂と一緒に歩んでくれています。

急な坂スタジオ×岩渕貞太×横浜美術館急な坂スタジオ×岩渕貞太×横浜美術館
撮影|須藤崇規

後半へつづく……